副院長ブログ

2011.08.15更新

先週末はこどもの国へ行って参りました。
お盆休みと言うことも有りかなりの混雑でした。
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みなさんの目的はプール!!
人の波が移動していきます。
そんな中プールをおあずけして参加したのは「歴史をたずねて」というこどもの国の歴史を知り散策するイベント。
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ご存知の方もいらっしゃると思いますが、こどもの国は戦時中には基地として利用されていました。主に砲弾を製造・貯蔵・運搬する目的で使われ、戦後は米軍により朝鮮戦争の辺りまで利用されていたそうです。
元々は民家が13軒ある細かい山と谷に覆われた(谷戸)農村だったそうです。
戦争が激しくなるにつれ相模湾から米軍が上陸した際の首都攻防戦の拠点として適した地形・地盤であるとして「国家総動員法」により強制移住となり国に保有されたそうです。最初は主に野戦砲・高射砲用の砲弾を製造していましたが、終戦間際は手榴弾や地雷の製造が多くなったとのことです。
基地内には運搬用に線路が引き込まれ、駅も2カ所設けられていました。
今の中央広場や第2駐車場の辺りに駅が有り、今のこどもの国線(当時は軍用線)を使って長津田経由で相模線から港へ輸送していたそうです。
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終戦近くの頃には学生・女学生を含め約3000人の方が働いていました。
そのため今でも園内では空襲に備えた防空壕後が見られます。 現在は危険なため入り口はほとんど閉鎖されています。軍本部用や職員用など用途は分けられていたようです。
入り口は数カ所有り縦穴・横穴が設けられており防空壕が爆撃されても生き延びられるよう設計されていました。
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↑左は現存する防空壕。右は入口がレンガで塞がれている。
基地や防空壕は村松組が約1000人がかりで作り上げたそうですが、その中の9割が朝鮮の方々による強制労働(?)だったようです。 何名亡くなったかなどの記録は一切無いそうです。
弾薬庫は33基あったようです。今でも池に半分埋もれている物も含めると十数基が敷地内に点在していて、現在もこどもの国が倉庫や設備として使用している物も有ります。
弾薬庫の作り方として有力なのはダイナマイトで山の斜面を吹き飛ばし倉庫を建て土を被せたのではと言われています。
写真に写っている弾薬庫跡の外装部分は戦時中のままの状態だそうです。弾薬等の輸送がトラック(電気自動車)によりしやすいように弾薬庫の入口は数段高くなっています。
一つの弾薬庫が爆発しても他の弾薬庫に飛び火しないよう配置されているようです。
散策の途中では弾薬庫の中も特別に拝見することができました。内装が朽ちてきていますが、今なお残る当時の面影がうかがえました。
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最後は元働いていらした女学生の方々が作った記念碑の前で解散。
今まで自分が年少の頃より何度と無く訪れているこどもの国の歴史に触れ、また一段と大好きになりました 。

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暑い中熱心に説明して頂いたスタッフの方々ありがとうございました。お疲れさまでした。 この貴重な遺産を語り継いでいただき子供の育成に行かして頂きたいと思います。
その後はプールに入りソフトクリームを食べ丸一日こどもの国を満喫しました。
ここのソフトクリームは溶けやすいですがとっても美味しくておすすめです!!
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投稿者: 医療法人社団健歯会中村歯科クリニック

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