副院長ブログ

2011.04.27更新

治癒の病理本日の火曜会は1988年に出された「治癒の病理」で有名な下野正基先生をお迎えし、基礎の分野から見た「歯根膜の魅力」をこれでもかっ と言うぐらい教えて頂きました。
歯が有り歯根膜が有る事で骨が再生し、歯の移植がなぜ成功するかなど、最新の情報も交えつつ解りやすく解説して頂き、自分の臨床と直結する部分が多く有意義な時間を過ごせました。
今はインプラントと言う素晴らしい技術が有りますが、その技術に甘んじ残る歯が沢山抜かれ人工のインプラントに置換されていくと言う現実が有ります。
それはまるで、現代の地球のようです。
もっと自然の力である「歯」を大事にする事が必要なのではないでしょうか?
自然からのしっぺ返しには人工の物などひとたまりも無いのは、このところ散々見て来ているので余計にそう思うのかもしれませんね。
ちなみに4月に退官された下野先生ですがあの日本の臨床のレベルを上げたと言う「治癒の病理」の最新版「新・治癒の病理」を現在執筆中とのことです。
早く拝見いたしたく、今からウキウキしています

 

投稿者: 医療法人社団健歯会中村歯科クリニック

2011.04.25更新

その後、治療が入っていない避難所を紹介してもらい、やっとのことで治療を開始しました。
最初は中々いらっしゃらなかったため治療の用意をしつつ避難所の方々にお声かけしていきました。うちのスタッフは子供を集めて「あおぞら口腔衛生指導」を行っていました。
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指導後に僕が「むし歯なぁい?」と声かけると「ここが(むし歯で)欠けちゃってね、なかむら先生なら診せてあげる!」と3人も治療させてくれました(笑
(「痛くしないでねっ」「絶対だよ!」と普段の治療のようなうれしいやり取りでした)
3-2「治療中の写真」
衛生士2人の仕事に周りの先生からお褒めのお言葉を多々頂いております。
その後、「先生に良いもの見せてあげる」とザリガニの「ガニぃ」と、かえる3匹「ジャイアン・スネ夫・のびた」そしてカナヘビというトカゲ(?)!を3人組に見せてもらいました。

なんとも可愛らしい友人が出来た様でこちらも嬉しくなってしまいました。
(その後カナヘビは中村から「むらへび」と言う名前を付けてくれました。)
3-43-5

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しかし、ふと話を聞いてると名前はシュン君一人とユウ君が二人・・・どうも震災後に出会ってあだ名がまだ出来ていないようでした。
僕は元気をこの子等から頂きました。しかし、この子達は大人に心配かけぬよう頑張っているようにも見えました。家族の話も兄弟の話も出ません。聞けませんが何かしら溜めているものも有るのかもしれません。
建物の陰で何か拭いている子供がいました。写真です。とても大事そうに拭いていました。今日家の辺りで見つけたそうです。
この状況がどう良くなっていくのか、全く検討もつきません。GWは被災地がボランティアで溢れるようです。しかし、これらの人々の関心が一時的な物でないのかと気になります。人々の関心が無くなったその時、僕はまた行く機会を持ちたいと思っております。
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医療チームで診察した患者は20名程でした。僕らは患者数の少なさに力不足を痛感しましたが、ボランティアとしては短時間での診療で聞いた事が無い人数の多さ(?)だそうです。
避難所の住民からは「今度はダンナ連れてくるから前もって電話(衛星電話完備)してね」など言ってくれました。
帰りがけにシュン君のお母さんに会いました。今度はお母さん、来て下さいね!
また、あの光景の中を通り帰路に着き
帰りのバスは渋滞も無くスムーズに東京へ到着。22時半頃、解散となりました。
月曜日、診察台に向かい何て僕たちは恵まれているんだ、なんてやりがいのある仕事をさせてもらっているのか。と、ひとつひとつの当たり前の事に感謝しながら診療を行なっていました。

投稿者: 医療法人社団健歯会中村歯科クリニック

2011.04.25更新

ぼらンティア3ぼらんティア4

行きの東北道では現地に近づくにつれ道路の段差が多くなっていき、地震の規模の大きさを痛感していきました。三陸道に入ると「住民」「自衛隊」「支援・ボランティア」の車両で渋滞し、南三陸町に到着するまで結局12時間かかってしまいました。
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南三陸町の中心部はテレビで流れる光景が広がり、度を超えた凄まじさで現実感をもって観る事が出来なかったと今でも思います。
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まず、ベイサイドアリーナへ向かいました。ここは電気も復旧しており歯科治療を行なうには絶好ですが既に歯科治療車が配備されており、他へ回れという指示が来、急遽僕らは小さな避難所へ向かう事となりました。
(現地では情報が一元化されておらず、中々治療場所が決まらずやきもきしました。)
余談ですがベイサイドアリーナの避難物資の量は大変なものでした。1000人規模と言うことも有るとは思いますが、メインの体育館に支援物資の山、山、山、、、避難住民が廊下に押しやられているように見えました(必要としている物資は、震災直後とは異なって来ているようです)。後から聞いた話では「必要ない」とすると、物資が入ってこなくなるのではないか?と言う危惧も有るようです。

投稿者: 医療法人社団健歯会中村歯科クリニック

2011.04.25更新

先週末を利用し医療ボランティアに行って来ました。
行き先は、3月11日からずっとテレビで目にして来た南三陸町です。
きっかけは、日頃study group「火曜会」等でお世話になっている筒井純也先生からでした。
先週水曜日に「被災地で歯科医療を受けられていない人々が居る。もし良ければ週末一緒に行けないか?」とご連絡を頂きました。 本来は研修会のお手伝いをさせて頂く予定が既に有り、即答は出来ませんでした。ですが、日頃から被災地の方々へ何か自分に出来る事が無いかと模索していたので、研修会のボスから研修会2日目の欠席の了承を頂き参加する事となりました。
スケジュールは東京を土曜深夜にバスで出発し、翌日現地入りし避難所で数時間治療し、深夜東京へ戻ってくるという予定でした。
ボランティア1(前日のミーティングの様子)
被災地へは一人で参加するつもりだったのですが、スタッフに話した所、二人の歯科衛生士がご両親からの了解も得た上で参加してくれました。被災地の状況を聞いた上で彼女達も感じることが有ったのでしょう。一緒に参加出来る事をとても嬉しく思いました。
診療が終わってから参加というハードスケジュールにも関わらず、現地で衛生指導や歯科医師のサポートを全力で行なってくれました。当院自慢のスタッフです。
ボランティア2ボランティア3
(最終的に 今回は、歯科医師9名 歯科衛生士2名 歯科技工士1名という編成で現地へ向かう事と成りました。)

投稿者: 医療法人社団健歯会中村歯科クリニック

2011.04.24更新

土曜から日曜にかけて南三陸町へ医療ボランティアに行ってきました。
このようなボランティアは初めてでしたが、良い経験をさせてもらいました。
小規模の避難所を訪れたのですが、落ち着くまではまだ時間がかかりそうです。
すぐには難しいですが何回か行けたらと思ってます。
津波の被害は凄まじいです。本当に恐ろしいです。
しかし、皆さん何とかかろうじて、踏ん張っています。子供は明るく遊んでいます。
診療しても心までは治せません。。。どうしたら良いのか全く分かりません。
物資は体育館の避難民を追い出すほど山のように溜まっています。
それでも東北の方は「ありがとうございます」と感謝して下さっています。
僕らは、ありがとうに甘えてはいけないと思います。

南三陸町1

投稿者: 医療法人社団健歯会中村歯科クリニック

2011.04.21更新

土曜日夜から医療ボランティアとして南三陸町へ行って参ります。
自分に何が出来るか、情報も少なく分かりませんが小規模の避難所を診させて頂く予定です。
もともと研修会のアシスタントをさせて頂く予定でしたが、日曜日は休ませて頂き診療に向かいます。
日本人として今出来ることを模索して行きたいと思っております。

投稿者: 医療法人社団健歯会中村歯科クリニック

2011.04.21更新


歯が痛い本日は、横浜開港資料館で開催されている「歯が痛い展」に行ってきました。
江戸時代の浮世絵で見る歯痛の顔やお歯黒の絵、お歯黒を見た外人の日記など、楽しめる内容になっていました。
一本の木を削り患者にあった吸着する義歯などは、当時の西洋より進んだ技術であり、日本の手先の器用さや発想力に感服します。
そこには実際使用された何個か木の義歯が展示されていて、精巧さもさることながら、そこに至るまでの苦労を思うと頭が下がります。
お歯黒についても展示がありましたが、お歯黒の成分を見るとタンニンが入っていて、普段臨床で大きな虫歯の歯質改善に用いているタンニン・フッ化物合剤(HY剤)に通じるむし歯予防習慣が平安時代からあったことに驚きました。
その他、虫歯と言われるのは歯の根の管に虫が住み着き歯を食べると考えられていたことなど、人々が「歯」という分野をどのように感じていたか、現代にも通じる部分が見えとても有意義な時間でした。
今回の会場である、横浜開港資料館は日米和親条約が結ばれた「たまくすの木」を囲むように建てられた洋館です。はがいたい2
はがいたい3
敷地内には可愛い趣のある喫茶室もあり、クロックムッシュなど美味しいパンやコーヒーを飲みゆったりできるには良い空間でした。

投稿者: 医療法人社団健歯会中村歯科クリニック

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